色々調べてみますと、1960年モデルということで私の生まれる数年前に作られたカメラです。もともとは叔父の持ち物だったのですが、片見分けとして私の元にやってきました。そして、このカメラは私が小学4年か5年のとき、初めて一眼レフを使った思い出のカメラです。場所は小樽運河で天候は曇り。フィルムの箱の露出ガイドの通りにシャッターと絞りをセットし慎重にピントを合わせてシャッターを切りました。そのとき感じた金属カメラのひんやりした重量感と、レリーズの瞬間、手のひらを突き抜けた軽い衝撃は私にとって一つの原体験となっています。その時の写真は今でこそ残っていませんが、敢えて感想を述べるとすれば、露出とピントがしっかりと合っているだけの私という人間の生涯にわたる凡才さを予想させる悲しいほどに陳腐な写真でした。閑話休題、その時点で既に発売から15年以上の歳月が流れていたわけですから、四十数年前でも、なかなかの貫禄あるカメラだったことでしょう。

このカメラのチャームポイントは全身機械であるということであり、後発機に付与された露出計ソケットもなく、ただこのボディーのみで完結されているという潔さなのではないかと思っています。それ故、ペンタ部に取り付け可能なストロボを載せるアダプターのない姿こそが私にとってのSR-1の完璧な姿と言えます。


同年代に作られた機種でありながら、シンプルな直線で構成されたNikonFとは方向性の違うデザイン性も、なかなか魅力的で、例えばキューバの街を走っているような、装飾的な要素を含んだデザインのクラッシックカーのような趣があります。またこのカメラのペンタ部ですが、私にはエベレストの頂のようにも見えるのです。その下には頭文字が小文字の「minolta」。この奥ゆかしくて小洒落た、感じの良さに世界はもっと気付くべきだと個人的には思います。

と、思い出バイアスがバリバリに掛かったべた褒めモードで語るのですが、実際に撮影してみると、個人的な事情も含めた欠点もないわけではありません。それ故、近年このカメラで撮影してはいないというのが事実であったりします。というのは、まずファインダーがとても暗い。そして全面マット。その上、私の老眼は年々進むばかり。これは三重苦です。ピント合わせに三年かかります。この点、ニコンは古いカメラでも使うことができる視度調整レンズを今でも手に入れることができるというのは本当に素晴らしいことだと思います。
そして、レンズのヘリコイドの手入れもしておらず部分的にスカスカになっているが原因の一つでもあるのですが、シャッターを切った時のミラーの動きによると思われる反動が、なかなかのじゃじゃ馬でレンズのフォーカスリングに手を掛けたままだと、リングが僅かに動いているように感じられることと、シャッタースピードが遅い時、手ブレの原因になるように感じられることがあります。こういった点を把握している私は立派なSR-1使いであると自負するのですが、それでなくともフィルムでの撮影の機会が減っている中で手にするカメラはニコンが多いです。やはり、ファインダー像がはっきり見えることとピントが合わせ易いというのが大きいです。無い物ねだりで叫びます。SR-1用の視度調整レンズ欲しいです。


コメント